私がヘルパーになった理由
私がヘルパーになったきっかけをお話しますね。
子供が幼稚園の年中さんの時に受講して、資格を取りました。幼稚園の役員の集まりでお話していて、ママ友の一人がヘルパーの資格を取りに行くって話をしていたんですね。
それから、そういう仕事があるんだってことを知って、気になってました。
でも、それまで自分の祖父祖母を含めて、お年寄りと触れ合ったことがほぼほぼなかったし、自信が皆無で無理だろうって思っていました。
でも不思議なことに、【自信】<【好奇心】ですべてを肯定的に変換してました。
子育てと両立しやすそう
我が家は、夫婦ともに地元ではありません。夫は土日休みですが、祝日は仕事。忙しく、休みが取りにくい状況でした。
娘が体調不良の時には、確実に私が動かないといけないから、休みが取りやすくないといけないと言うのがありました。その点、登録ヘルパーさんなら急な休みも取りやすいようでした。
希望した日で、週1件でもいいらしいし、慣れてから少しずつ増やしていけばいいし。
ひさびさの社会復帰には、ちょうどよい環境でした。
おばあちゃんおじいちゃんってどんなものか知りたい。
私は、ほとんど自分のおばあちゃんとおじいちゃんと触れ合ってないんです。極度の人見知りで、おばあちゃんともおじいちゃんとも何もしゃべれなかった。
たくさんいる従妹の中で、なにもアピールできないで子でした。
友達のおばあちゃんと孫の関係をよそから見て、「へーっ」「普通にしゃべってる」ってうらやましいのか感心していました。
それを取り返すべく?おばあちゃん、おじいちゃんと身近に触れ合ってみたいって思ったのでした。
将来の介護の予習
私は、常々将来、父の介護をするんだろうなと考えていました(母に植え付けられていたと思う)。
そして、父は60歳前後から亡くなるまで、脳梗塞(極軽度)、後縦靭帯骨化症、脊椎管狭窄症、非結核性抗酸菌症、全身性エリテマトーデス(SLE)疑いなど病気のオンパレードでした。
実際、介護する間もなく、非結核性抗酸菌症の悪化で病院で亡くなったのですが、介護状態になった時の予備知識があったので、覚悟もイメージも少しは出来ていたのは良かったかもしれません。
そして、これから控えている母の介護にも役立つと思います。
売り手市場
地方は、とにかく好条件での仕事がない!そして、介護関係はやたらと募集されているのです。
介護関係の仕事ならば、少なくとも仕事にあぶれることはなさそうと思いました。
実際そうですし、あと処遇改善という手当(国から)もあって、だいぶん給与面も改善されつつあります。※どの程度の手当てを受け取れるかは、雇用主次第でもありますので、就活の時は、最重要チェック項目です。

実際、ヘルパーとして働いてみた感想
イメージより悪くない
利用者さんのお宅に直行し、活動が終われば直帰して、自分の時間が持てる。1時間集中して活動すれば、あとは解放される。この切り替えが、とても良いです。
わたしは、一時デイサービスでフルタイムで働いたことがあるのですが、それと比べてしまうんです。デイサービスは、ずっと気を張って、忙しいってイメージ。何時までに何を終わらせて、これを始めないととか一日中時間に追われている感じ。職員同士がお互いの仕事ぶりを監視し合っている感じもありました。
だから、一人で一人の為に活動するのが、私には合っていたのかもしれません。
利用者さんも優しいし、すごく親密になって、私のこと心配してくれるし、私も相談したりします。利用者さんに料理も教えてもらったり、掃除の仕方も教えてもらったり、お給料もらいながら教えてもらうなんて、いいお仕事です。
すごく感謝されて、気分いいですよ。もちろん意地悪言われたり、わがまま言われたりすることもあるけど、そこは「はい、仕事仕事。給料のうち」「あと30分の我慢」と思う術も身につけてしまいました(笑)
よそのお宅を見れる
家を建てる前に、ヘルパーしておけばよかったなーってつくづく思いますよ。
いろんなお宅に入るので、この家のこの作りは便利だな~とか、年を取ったら、この作りはまずいだろうなとかいろいろ勉強になります。
それをもとに家を建てれば、もっと将来まで住みやすいお家を作れただろうに。
でも、同時にこんな場合はこうすればいいのかって言う個々のお宅のアイデアも見ることができるんです。おもしろいです。
利用者さんへの興味
私は、もともとおじいちゃんおばあちゃんってどんな感じ?と言う好奇心から、この世界に入ったので、毎回どんな人だろうってちょっと楽しみにしています。
だから、どうしてもインタビューみたいに聞いてしまって。。。
たとえば「ずっと、こちらですか?出身はどちらですか?」みたいな。
出身の話は、盛り上がりますよ。私、もともとライダーで九州は特にかなりの田舎まで行っているのです。どの地域を言われてもだいたい分かるので話がはずみます。出身地の話は、つかみにバッチリです。
それと、外せないのが、戦争の話。
私は、戦時中の生きていた人の話を生で聞きたくて、「戦時中は、ここに住まわれてたんですか?」って聞くと、「出兵していた」とか「疎開していた」「この辺りの軍需工場に勤めていた」とか話してくれます。
「シベリアに抑留されていた」とか「マレーシアで空港を作らされていた」とかの話が出ると根ほり葉ほり聞いてしまいますが、みんな嫌がらずに教えてくれました。
私は、たぶん「日本がすべて悪い」と言う風に教育されてきた世代なのです。でも、実際に戦争経験者の方の話を聞くとそうではないんですよね。「中国の為に戦ったのに」とか「中国の人と仲良かったよ」とか好意的です。
私は、こういう話を聞くと、よくぞ、この時代を経て頑張ってこられたと一気に尊敬の念が湧いてきます。その尊敬の念も持ってその方を見れると、少々わがままじいさんでも、まぁいいかと許せてしまうのです。よい影響があるなぁと思います。
※戦争に行かれた世代の方は、今はもう100歳前後の方なので、戦争話を聞ける方はほぼいなくなってしまいました(涙)
社会参加、人の役に立てる実感がある
「人を助ける仕事=ストレスが少ない」というのは、実は心理学や幸福研究の分野ではよく言われている話らしいです。
なぜかって言うと、人を助ける仕事は、「自分が誰かの役に立っている」「存在意義がある」と感じやすく、自己肯定感や満足感を得やすいからなのです。
これは「ストレス耐性を高める」働きがあり、多少の大変さがあっても乗り越えやすくなるんです。
誰かから「ありがとう」と言われたり、笑顔をもらったりすることが、脳にとってご褒美のようなものになります。
ポジティブな感情は、ストレスホルモン(コルチゾール)を下げ、幸福ホルモン(セロトニンやオキシトシン)を分泌させることが知られています。
ボランティアや介護のような仕事は、「見返りを求めず人のために動く」行動=利他的行動は、メンタルヘルスを高めるという研究もあります。
思い返せば、ヘルパーさんってみんな本当に利用者さんの為を思って、動いてくださる人ばっかり。
それは最初からではなく、仕事を通して芽生えていったものかもしれません。
ちなみにヘルパーさんは、息が長いです。10年~20年続いている方が多いのは、この心理的作用が働いているからなのでしょうか。
もちろんデメリットもあります。それはメリットとの天秤にかける。
良い面ばかりを書くと、反対意見も出てくるでしょうからフェアに書いてみましょう
自分の車を出さないといけない
登録ヘルパー及び直行直帰の宿命ですね。移動費やガソリン代などは別途出ていると思います。
車使用料を出しているところもあるようです。(個人の車を使う代金を会社が支給してくれる)
または会社の車を使える常駐ヘルパーさんを雇っているところもあるようです。でも給与体系が違うと思います。
ヘルパー事業所で給与やその他費用の出し方がさまざまなので、比較して考えましょう。
移動時間がお金にならない
たしかに次々に移動するのに、空白の時間あります。
それも事業所によって支給するしない、支給額はいくらかなどさまざまです。そこも必須の確認事項です。
突然のキャンセルがある
当日のキャンセルや訪問したら居なかったなど、急に活動がなくなる場合もあります。その場合、どうなるのかも確認事項です。私の働いている会社は60%支給もしくは他の活動を請けるかのどちらかになります。
いやな利用者に当たった
これは、よくありますね。担当の利用者と気が合わない、相性が悪い、利用者さんや家族がいじわるとか。それとか過度な仕事の詰め込みとかもあります。
1~2カ月ほど行ってみて、様子を見てください。案外、人見知りで緊張していたり、わがままを言ってヘルパーさんを試していたりして、それを乗り越えると逆に信頼して、とっても仲良くなるって言うことが多々あります。
過度な仕事の詰め込みで時間オーバーするようなら、担当のサービス責任者に伝えて改善してもらうべきです。改善されなければ、その方の担当を外してもらってください。
なにしろ、売り手市場です。辞められたら困るので、そのくらい言っても大丈夫ですよ。
会社は、ヘルパーを守るべき立場ですから。
まとめ
あるヘルパーさんと話したのは

休みを取りやすいし、自分の働きやすい時間で働けるし。
だからどっちかよね~。多少の不都合と天秤にかけて、都合よく働けばいいよね~

あっちやこっちに行って気分も変わるし、利用者さんとのおしゃべりも楽しいですよね。不都合なら断るという選択肢もあるから。
気はラクですね。
と言う感じです。いいところだけとって、不都合な部分は、天秤にかけて選択していけば気長に働けるお仕事なのではないかと思います。得られるものも多いですよ。

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